九十歳。何がめでたい(佐藤愛子)を読みました

「90歳。何がめでたい」(佐藤愛子、小学館)を読了。

少々息切れしながらも、今も元気な佐藤愛子氏。

人と会って年の話題になるとこんな会話が。
「90といえば卒寿と言うんですか。まあ!・・・・・・

おめでとうございます。白寿を目指して

どうぞがんばって下さいませ」

こんな時、ありがとうございます、

と言うには言うけれど、内心では
「卒寿? ナニがめでてえ!」と思ってるのだそうです。
だんだん年をとっていくと、外からの見方と
本人の内心の感じ方には、ずいぶんと違いがあるようです。


佐藤愛子さんは、表面的な、

「元気なお年寄り」や「長生きを望んでいるだろう」
などの、本人の意志やや個性に関係なく、
投げかけられるそんな言葉に怒って
「ナニがめでてえ!」
と叫びたくなるようです。
ちょっと胸がスカッとしますね(笑)

よく、お年寄りにやさしくしてあげたいわ・・など善意でいっぱいの人をみかますが、そんな寛容さに驚くと同時に、

もうちょっとほかの対応があるのじゃないか、と思うこともあります。

どんな対応かというと、もちろん優しさも大事ですが、
もっと大事なのは、大勢の中の一人の老人、
ではなく、自分らしく自然に生きている老人をそっと見守り、
必要な時には手を差し伸べていく、というのがいいのではないでしょうか。
90歳になって、このさっぱり感、切れ味のよさ、

なんでもやり続ける根性など、
そんなものの上に年老いても、一人の人間であることを認められるような、そんな生活状況がいいですね。

庇護だけしてればいいと、いう環境では、本当の老人の自由や個人の尊重はないのかも・・・・・・。
この本の中で特に好きで、心に残るのは飼い猫の
ハナちゃんのことだ。

ハナちゃんは、北海道の別荘の前に捨てられていた。飼うことを決めた翌日の明け方庭で叫び声がして、出てみると、
狐がハナちゃんをくわえていた。
佐藤先生は、窓から飛び降りて叫ぶと、狐は逃げ去り、
ハナちゃんは鞠が転がるように佐藤先生のところに走ってきたという。
それ以来、命の恩人と思っているようで、
部屋の窓ガラスの向こうにいつも、佐藤先生をじっと見つめる顔があったという。

「恩人」と思っていたようです。
と、さらりと言うが、そこに深い愛情があって、
佐藤先生にとっても、ハナの存在が、かけがえのないものだったことがわかります。

声が大きいので「90歳なのに元気」
と思われているが、相手にきちんと伝えようとして、
声が大きくなる。

そういう行動をやさしさというのではないでしょうか。
佐藤愛子氏は、まさしく心優しい気っぷのよい(この言葉はおいやかもしれないが)家族にとっても、飼い犬にとっても、私たち読者にとってもかけがえのない

優しくて温かい、大きな存在なのだ。


90歳という年齢は、作家にとって第二の属性にしか過ぎないけれど、
その人間味のある温かさは、同性としても目標にできる貴重な存在だ。

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