コロナ禍でふるさとに帰れない、夫婦も面会できない、そんな話が多いです

公園や道の片側などにたくさん咲いている。
テッポウユリか・・?
8月に百合を見ていると、
なくなったひとのことを思い出す。
母がなくなってしばらくは、

母が死んだということが信じられなかった。
それでどう思ったかというと、

「母は現在死んでいる」と、Ingで考えていた。
現在、死んだ状態で、母はいる、ということだ。

けれど数年してやっと母がもうこの世にいないのだ、と

思うようになった。
そうなると、写真立ての中の顔が古色蒼然としてきて、
幼いころに母の実家で見た、ご先祖様たちの遺影の1枚になってしまったような。
寂しいけれどしかたない。
人間はこうして、命をつないできたのだ。

母が亡くなって8年、父が亡くなって5年、
今年のお盆にこそ、墓参りに行こう、

と思っていたけれど、
コロナ禍で緊急事態宣言の出ている今、

それは無理のようだ。

私の若い友人も、お盆休みに実家に帰って
ご両親に、2年ぶりに孫の顔を見せようとしていたけれど、
それもあきらめたようだ。
おじいちゃん、おばあちゃんは、

お孫さんの顔が見られなくて
さぞがっかりされたことだろう。

子供の成長ははやい。
2年もしたら、見違えるほどに変わってしまう。
その間の成長を見られなかったことはさぞ心残りに違いない。

そこには、とりかえしのつかない失われた時間がある。
みんな我慢している。我慢が限界に達しそうになるが、
そこからさらに我慢をし続ける。


今朝の新聞で読んだ読売新聞の人生相談では、
80代の女性が、自分が入院することになって、
夫がグループホームに入り、

コロナで面会禁止になっていて久しぶりに会うと
髪はボウボウになってみすぼらしく涙が出たと、

新聞の人生案内に相談を投稿しているのを読んだ。

夫は「帰りたい」「妻のとことに行かなくては」と

毎日いっているそうだ。

それで妻は、グループホームに入れたのは間違いだったかと

自分を責め、
悲しくて苦しくて眠れないそうだ。
私も読んでいて、思わずもらい泣きしてしまった。

お二人のことが気の毒なのもあるが、
夫が「妻のもとへいかなければ」と毎日いい、
妻は、夫をグループホームに入れなければよかった、

と泣いてしまう。

二人の間に、愛の細やかさを感じて、
読んでいて切なかった。

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