「一〇三歳になってわかったこと」を読むと、何歳でも生きる勇気をもらえる

収束しない新型コロナウイルス。

このウイルルについての考えはさまざま。まるでその人の人生観、死生観まであらわにしているように感じます。
「こんな恐ろしいものが・・・」
 と、恐怖をあらわにする80代後半の男性。また、
「高齢者に移さないように、若い者たちも自粛すべき」
という人も。びっくりしてしまうことがたびたびあります。

きっと私が、小説や映画の「楢山節考」などに影響されているせいかもしれませんね。
主人公のおりんは、若く見える(何でも食べれる丈夫な歯がある)のが、恥ずかしいと、石で自分の歯を折り、息子に自分を背負ってはやく裏山につれていって、置いてこいとせがむ気丈で心やさしい老婆なのです。


だいたい、人は何歳まで生きるのか

だいたいあと10年くらいかな、もうちょっとかな、などと最近よく思ったりします。
数十年前、夫の両親の金婚式に子や孫たちが集まった際に、みんなを前にして、義父は、
「人生というのは、思ったより短いものだ」
しみじみと言いました。
「短いから、生きているうちにがんばれ」か、「人の命は、はかないものだ」と詠嘆したのか、そのどちらなのか、今となってはよく覚えていません。
その半年ほどあとに義父は入院し、2週間ほど生死の境をさまよったあとになくなりました。
その時の言葉を、何十年たっても、何かの折にふと思い出すのです。そして、なぜだろう、と不思議に思います。


人生は、読み始めた本に似ています

なんとなく読み始めた本。とちゅうからのめりこみ、真ん中過ぎからだんだん残りのページ数が減っていくのが惜しくてたまらなくなります。
この数年、「ああ、今日も生きてる」そう思って朝、布団から起き出すことが多くなりました。ベッドからおりて、服を着て、今日のことを始めるんですが、服はいつもだいたい一緒。

母がそうでした。まったくおしゃれではないんです。「一枚看板」などと、近所のおばさんに言われて、憤慨していましたが、その通りなんだからしょうがないです(笑)
私も今は一緒。年を重ねるというのは、まるでふるさとに帰るように、自分の母親に似ていくプロセスなのかもしれませんね。


一〇三歳になってわかったこと

けれど、そんな中にあって、しゃんと背筋をのばしなさいよ。と勇気をあたえてくれる大先輩方がいらっしゃる。
そんなお一人が、「一〇三歳になってわかったこと」を書かれた篠田桃紅さん。
篠田桃紅さんは、墨による抽象作品で世界中からその才能を高く評価されている美術家です。
また、結婚せずに生涯一人で生きてこられた。
本の中には、いぶし銀のように貴重で心に透みとおる味わい深い言葉がいっぱいです。

「やりたいことはなんでもしておく」
「人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません・・・人の領域ではない」
「私は一人、天と地の間に立っている」
天と地の間に立っているというのは、救世観音が微笑みながら立っている、そのイメージとのこと。そんな自分を想像しただけで、心穏やかになれそうですね。
私には、篠田桃紅さんそのひとが、天と地の間に微笑みながら立っているように思えます。

生まれてくる赤ちゃんも感動ですが、一〇三歳の桃紅さんから生きる勇気をいただけるというのは本当にうれしいことです。

《根本幸江が、日々感じたことを書いています》

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